こんにちは!ひつじです。先日、白山に登りました。
きょうは、白山登山中に浮かんだ仏教に関する疑問について。
白山開山
一泊した室堂の山小屋に白山の歴史の紹介のパネルがありました。それによると白山を開山したのは越前の僧、泰澄であったそうです。
そこでふと疑問が浮かびました。なぜ仏教の僧である泰澄が開山したのに、今では白山室堂には白山比咩神社という、神社があるのでしょうか。
白山には室堂、弥陀ヶ原など、仏教由来の地名が多くあります。それなのになぜお寺ではなく神社があるのでしょうか。室堂と聞くと山好きの人でなくともよく知られているであろう地名に、立山の室堂があります。こちらはケーブルカー?でも行けるので一般的な観光地としても有名ですね。立山にも白山と同じように室堂、弥陀ヶ原、別山、大汝山などがあります。なんか関係ありそうですよね。
ちなみに話はそれますが、白山と立山は昔からよく比べられる事があるようで、このような昔話が紹介されていました。
立山三山には浄土山なんてのもあるし、麓の街は芦峅寺というお寺の名前になっていました。
立山に登ったときには、その美しい景色をみて、ここが浄土の姿だと考えたのも納得するような心地でした。でもよくよく考えてみると、山頂には雄山神社があったし、芦峅寺(地名)にもお寺ではなく、雄山神社があったと思います。なんかもうごちゃ混ぜになっていて、よくわかりません。
神仏習合と神仏分離
ネットで調べてみると、これには明治政府が打ち出した政策、神仏分離、廃仏毀釈の影響があるようです。そもそも日本では平安時代から神仏習合といって、日本古来の神道に仏教が合わさり、神社の御神体が仏であったりと、混沌としていました。しかし、江戸時代が終わり、明治政府が興ると、神道の国教化を目指し、神仏分離が行われました。神と仏を分けて、それぞれ神社と寺院で祀ることを命じる政策です。このことにより神仏習合は、政治権力によって解体されていき、さらには仏像や仏具などが焼き払われる廃仏毀釈といった運動にまで発展してしまいました。
https://myoenji.jp/about/haibutsu-kisyaku.html
この流れは泰澄が開いた白山、さらには立山も例外ではなく、山から仏教に関連するものが次々と降ろされ、または壊されていってしまいました。今、白山比咩神社の奥宮や、雄山神社がある山頂には御堂があり、それぞれ白山権現、立山権現が祀られていたんですね。権現とは仏や菩薩が仮に姿を変えて日本の神として現れることを言い、この概念自体がもはや神仏習合の現れで、神仏が混沌としています。
白山と立山の神仏まとめ
現在白山と立山で祀られている神仏を整理しておきます。
仏教 | 神道 | |
---|---|---|
白山 | 十一面観音 | 菊理媛神 (ククリヒメ) |
立山(雄山) | 阿弥陀如来 | イザナギ神 |
ちなみに
大汝は出雲大社て有名な大国主、こちらは神道ですね。
白山の登山口に当たる別当出会の別当は、他に本職があり兼ねて別にその任に当たる、の意味で、僧の役職のようです。
このように地名や山名に仏教、神道由来のものが混沌としていることも、神仏習合、神仏分離などの経緯があってのことなんですね。
神も仏もミックスされてて、よく分からないなぁと思って調べてみましたが、実際に日本では神仏が混沌としてますね。
それでも今あるお寺さんは廃仏毀釈などの流れの中で生き残ってきたこと、神道も仏教もお互いを受け入れるおおらかさがあること、この辺を感じながら、お寺や神社に足を運んでみたいです。
以上、白山で仏教と神道の歴史を感じたお話でした!
何かあればお気軽にどうぞ!